知っているつもりではもったいない 東大寺を知り尽くす旅

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知っているつもりではもったいない
東大寺を知り尽くす旅

日本を代表するお寺、東大寺。
1300年の歴史が詰まった広大な境内には、
思いがけないヒミツが隠れています。
知っているつもりでは、もったいない。
いざいざ、東大寺。
古くて新しいならまち、名僧ゆかりの西ノ京をたどりながら、
東大寺を知り尽くす旅へと参りましょう。

    01

    東大寺 大仏殿だいぶつでん【国宝】

    動物も植物も人間も。
    すべての命を照らす
    祈りの空間

    “奈良の大仏さま”で知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)をご本尊としておまつりするお堂です。

    奈良時代、天然痘が大流行し、政治的争いも相次ぐなど、社会は不安にさらされていました。
    国家の安寧を強く願った聖武天皇は「動物も植物も人間も、生きているすべてのものが幸せになるように」と大仏造立(ぞうりゅう)の詔(みことのり)を発します。そのなかで「一枝の草、一握りの土を持ってくるだけでもかまわない。自分も手伝いたいという者がいたら許すように」と呼びかけました。
    当時、天皇の権力は絶大です。敢えてそう言わなくても、大仏造立は叶ったことでしょう。しかしそこには「国民みんなの力を結集してこその大仏造立なのだ」という聖武天皇のひたむきな思いが込められていました。
    詔から6年後の749年、多くの人々の力で大仏さまは完成し、752年4月9日に大仏開眼供養会が行われました。

    東大寺の大仏さまは、奈良時代からずっと人々の心の支えであり続けました。その大きくて優しいお姿を前にすると、すべてを包み込んでくれるような安心感に満たされます。

    • 大仏殿(国宝)。正式には東大寺金堂(こんどう)といい、世界最大級の木造建築。堂内には真正面に盧舎那仏が鎮座し、その両隣に脇侍の虚空蔵菩薩と如意輪観音、背後に四天王の広目天と多聞天が控えています

    • 盧舎那仏坐像(国宝)。『華厳宗(けごんしゅう)』の教主であり、宇宙をあまねく照らす仏さまです。像高約15m。これまで地震や兵火などで被災に遭いましたが、そのたびに再建されてきました。頭部は江戸時代、胴部の大部分は鎌倉時代のもの。大腿部や台座などに造立当時(奈良時代)の一部が残っています

    • 台座の周りの蓮弁(れんべん)。一枚一枚に華厳経の世界観が線刻され、その中心で釈迦如来が教えを説く様子が表されています。写真は須弥壇下の原寸模型

    • 大仏殿の正面に建つ金銅八角燈籠(国宝)。高さ約4.6m。東大寺の創建当初から残っており、銅製の燈籠としては現存する日本最古のもの

    詳細情報

    住所
    奈良市雑司町406-1
    電話
    0742-22-5511
    拝観時間
    4~10月 7:30~17:30、11~3月 8:00~17:00
    拝観料
    600円、東大寺ミュージアムとのセット券1,000円
    アクセス
    近鉄奈良駅からバス約4分「東大寺大仏殿・春日大社前」下車、徒歩約10分
    WEB
    http://www.todaiji.or.jp/
    SNS
    https://www.instagram.com/todaiji.official/

    大仏殿は3つある!?

    大仏殿が完成したのは、大仏開眼供養会が行われた752年頃といわれています。これまで兵火により2回焼失しましたが、その都度再建されてきました。つまり世代によって、3つの異なる大仏殿が存在しました。

    大仏殿の堂内には、「創建当初の大仏殿」「鎌倉期再建時の大仏殿」「江戸期再建時の大仏殿」という3つの縮小模型が時代順に展示されており、これを見ると大仏殿がどのような変遷を遂げてきたのかがわかります。

    大仏殿の堂内に展示される3つの模型。歴代の大仏殿を約50分の1に縮小した復元模型で非常に精巧な作り

    まずは第1世代である「創建当初の大仏殿」から。
    こちらの模型は大仏殿だけではなく、壮大な伽藍の様子まで復元したものになっています。

    「創建当初の伽藍」復元模型。創建当初、東大寺には東西両塔がそびえており、一説には高さ100mに達すると想定されています。真ん中にある建物が大仏殿です
    「創建当初の大仏殿」復元模型

    創建当初の大仏殿は、高さと奥行きは現在とほぼ同じですが、幅は約86mと、現在の大仏殿よりも横長でした。柱と天井には彩色が施されていたそうです。

    創建から400年ほど経った平安時代末期の1180年。東大寺は平氏による「南都焼き討ち」に遭い、大仏殿は焼失してしまいます。
    しかし重源(ちょうげん)上人らによる懸命の再建事業が進められ、1195年に落慶法要が営まれました。
    それが第2世代となる「鎌倉期再建時の大仏殿」です。

    「鎌倉期再建時の大仏殿」復元模型。大きさは創建当初とほぼ同じですが、重源上人が宋からもたらした「大仏様(だいぶつよう)」という強度のある合理的な建築様式が採用されました
    同じ「大仏様」で再建された東大寺南大門(国宝/鎌倉時代)。今はない「鎌倉期再建時の大仏殿」の威容を偲ばせる貴重な遺構です

    鎌倉再建から370年ほど経った1567年。時はまさに戦国時代で、大仏殿は「三好・松永の兵火」によって、またもや焼失してしまいます。復興は難航を極めますが、公慶(こうけい)上人らの尽力によって1709年に再建を果たします。
    それが第3世代となる「江戸期再建時の大仏殿」、すなわち現在の大仏殿です。

    「江戸期再建時の大仏殿」復元模型。「創建当初の大仏殿」や「鎌倉期再建時の大仏殿」と比べて、高さや奥行きはほぼ同じですが、横幅が短くなり約57mに

    江戸期再建時は、柱とする巨木が調達できず、芯となるケヤキをヒノキ板で囲い、それを銅輪で締めて柱としました。そのため正面の幅が57mに縮小されています。

    大仏殿はその後も、明治時代に傷んだ箇所が補修され、昭和時代には落雷や風雪によって破損していた屋根の鴟尾(しび)が新調されるなど、多くの人々の尽力で現代に受け継がれてきました。

    現在の東大寺大仏殿(国宝/江戸時代)。正面の幅約57m、高さ約48m、奥行き約50m。世界最大級の木造建築です

    3つの復元模型を見た後、あらためて大仏殿を振り返ってみてください。
    その巨大な木造建築を維持・再建するため、先人たちがさまざまな工夫をしながら歴史をつないできたことが、いっそう強く感じられることでしょう。

    四天王の残りの2体はどこにいるの?

    四天王といえば、4体1チームで東西南北を守護する仏神。
    しかし大仏殿には、広目天と多聞天の2体しか立っていないように見えます。
    残りの増長天と持国天はどこにいるのでしょうか?

    左)広目天立像、右)多聞天立像

    よく見ると、頭部だけが大仏さまの後ろ左右の台座に安置されています。

    左)持国天像(頭部)、右)増長天像(頭部)

    これには理由があります。東大寺創建当初、四天王像は4体揃っていたのですが、兵火によって2回焼失しました。
    その後、広目天と多聞天は再建されたのですが、持国天と増長天は頭部が造られただけで、ついに完成には至りませんでした。
    頭部だけとはいえ、持国天と増長天の眼光はとてもパワフル。広目天や多聞天とともに、ご本尊である大仏さまの東西南北をがっちりガードしています。

    大仏殿の四天王の配置
    02

    東大寺 二月堂にがつどう【国宝】

    100年前の浮世絵師も愛した
    絶景のお堂

    大仏殿の東方、上院地区と呼ばれる丘陵地に建つお堂です。
    二月堂という名は、毎年3月(旧暦の2月)に修二会(しゅにえ)がここで行われることから付いたといいます。
    始まったのは大仏開眼と同じ752年。それから現在まで1300年近くもの間一度も途絶えたことがなく、「不退の行法」ともいわれています。
    修二会とは、古い年の穢れを払って新しい一年の平安を祈る行事。 3月13日未明、二月堂のご本尊・十一面観音にお供えするお香水(こうずい)が汲み上げられることから「お水取り」の名でも広く親しまれています。

    今から100年ほど前、浮世絵師の川瀬巴水(かわせはすい)は二月堂の景色を版画で描きました。
    その作品と、今同じ場所から眺める景色はほとんど変わっていません。
    ぜひあなたも現地で確かめてみてください。

    • 二月堂からの眺めは絶景。特に夕景が素晴らしく、茜色と藍色の美しいグラデーションに包まれた奈良の街並みを遠く見渡せます

    • 二月堂(国宝)。傾斜地に前半部分がせり出すように建てられています。ご本尊の十一面観音は絶対秘仏で、人の目には触れていないそうです

    • 二月堂裏参道。大仏殿の裏手(北側)から二月堂へと至る静かな坂道で、風情たっぷり。石畳に沿って茶色の瓦土塀が続いています

    • 川瀬巴水が1921年(大正10)に制作した『旅みやげ第二集 奈良 二月堂』。巴水は浮世絵師であり「旅情詩人」とも称された風景木版画家です

    • 同じ場所から撮影した2022年2月現在の写真。吊り灯籠や護美箱(ゴミ箱)の位置は多少違うものの、100年前とほとんど変わっていません

    詳細情報

    住所
    奈良市雑司町406-1
    電話
    0742-22-5511
    拝観時間
    24時間参拝可能 
    ※お静かにお参りください
    拝観料
    無料
    アクセス
    近鉄奈良駅からバス約4分「東大寺大仏殿・春日大社前」下車、徒歩約20分
    WEB
    http://www.todaiji.or.jp/
    SNS
    https://www.instagram.com/todaiji.official/

    ここだけどうして凸凹!?

    二月堂の舞台をよく見ると、北西角の欄干だけ凸凹になっています。
    これはなぜでしょう?

    北西角の欄干。上部が凸凹に波打っています。奥に見えるのは大仏殿

    修二会では、練行衆(れんぎょうしゅう)が毎夜二月堂に上がるときの道灯りとして巨大な松明(たいまつ)が灯され、童子がそれを担ぎます。
    童子は練行衆を二月堂へと先導したのち、火のついた松明を舞台から突き出したり回したりします。

    二月堂の下から見た「お松明」の様子。火の粉を舞い散らせながら、松明が勢いよく回ります
    二月堂の舞台から見た「お松明」の様子

    童子が松明を置いて、ぐるぐる回転させる場所。それがまさに北西角の欄干です。
    松明は、長さ約6m、重さ約40㎏。それを2週間で141本回すため(※) 、摩擦ですり減って、このように凸凹になるのだそうです。

    写真は「お松明」最終日に撮影したもの。松明でこすられた箇所に黒い焦げ跡と、緑色の竹の繊維が付着しているのがわかります

    3月1~11、13、14日は10本、12日は11本に火が灯されます。3月12日のひときわ大きい松明を「籠松明(かごたいまつ)」と呼びます

    いくつ見つかる?境内の“隠れ動物”

    東大寺には動物をかたどった彫刻がたくさんあって、境内の思わぬところに隠れています。
    例えば、二月堂付近の石灯籠には、馬・鹿、虎、蛇といった動物たち。

    石灯籠の下には亀もいます。

    二月堂南側の石段を上がりきって右側の石灯籠

    二月堂の手水舎には龍が巻き付いた水鉢が置いてあり、天井を見上げると2頭の龍が向き合う方位盤。

    梁には鷲(わし)の模様が彫られていて、よく見ると小さな子どもの姿も。

    鷲の模様。これは東大寺の初代別当・良弁(ろうべん)が2歳のとき鷲にさらわれ、二月堂下の大杉まで運ばれたという伝承を彫ったものだとか

    二月堂の下にある閼伽井屋(あかいや)の屋根には、鵜(う)の飾り瓦がのっています。
    閼伽井屋は、修二会(お水取り)の際、二月堂のご本尊・十一面観音に供えるためのお香水(こうずい)をくみ上げる井戸がある建物です。

    閼伽井屋の屋根の上の鵜。岩から白黒2羽の鵜が飛び出し、そこからお香水が湧き出したという伝承にもとづいて飾られています

    境内にはたくさんの動物の彫刻があり、それはまるで「生きとし生けるものすべてが繁栄するように」という聖武天皇の願いを映しているようにも見えます。

    ここでご紹介した以外にも、東大寺にはさまざまな“隠れ動物”が潜んでいます。
    歩きながら、じっくり探してみてください。

    03

    東大寺 戒壇院千手堂かいだんいんせんじゅどう

    期間限定!
    今見ておくべき美仏のお堂

    大仏殿の西方に建つお堂です。
    鎌倉時代後期、東大寺の大勧進(物資などの寄進を募る職)に任じられた圓照(えんしょう)上人によって建立されました。

    ご本尊は千手観音菩薩。堂内中央の須弥壇(しゅみだん)上に据えられた黒漆塗厨子(ずし)の中に四天王像とともに安置されています。
    これらの仏像は鎌倉時代、お堂の建立と同時期に制作されたといわれており、 室町時代にはすでに秘仏だったこともあって、装飾や彩色が今もきれいな状態で残っています。

    これまで千手堂は通常非公開でした。
    しかし東隣の戒壇堂が保存修理と耐震化工事のため2020年7月から拝観停止となり、その代わりに特別公開されることになりました。
    戒壇堂の工事完了(2023年予定)までの期間限定なので、ぜひ今のうちに拝観を。

    • 千手観音菩薩立像と四天王立像(いずれも重要文化財)。鎌倉時代に奈良を中心に活躍した仏師集団・善派(ぜんぱ)の作とされます。厨子は真横から見ることもできるので、ぜひそばに寄ってご覧ください

    • 厨子の後板には、観音さまがいらっしゃるという海に囲まれた補陀落浄土(ふだらくじょうど)が描かれています

    • 千手観音菩薩立像の右後ろをよく見ると、クジラの潮吹きのような絵が描かれています

    • 堂内の右奥には、鑑真和上坐像(重要文化財/江戸時代)がおまつりされています

    • 千手堂。戒壇堂のすぐ西隣にあります。現在の建物は江戸時代の再建です

    詳細情報

    住所
    奈良市雑司町406-1
    電話
    0742-22-5511
    拝観時間
    8:30~16:00 
    ※毎月6日は法要後10:00頃~
    拝観料
    600円
    アクセス
    近鉄奈良駅からバス約4分「東大寺大仏殿・春日大社前」下車、徒歩約17分
    WEB
    http://www.todaiji.or.jp/
    SNS
    https://www.instagram.com/todaiji.official/

    どうしてここに鑑真さんのお像が!?

    唐の名僧・鑑真和上といえば唐招提寺というイメージがありますが、千手堂には鑑真和上像がおまつりされています。
    これはどうしてでしょうか?

    戒壇院千手堂の鑑真和上坐像(重要文化財/江戸時代)

    6度目の渡航でついに来日を果たした鑑真和上は754年、大仏殿の前で聖武太上天皇らに戒律(※)を授けました。そして唐招提寺に移るまでの5年間、戒壇院を拠点に活動しました。
    東大寺と縁の深い鑑真和上の恩徳を偲んで、江戸時代、戒壇院長老・慧光(えこう)の勧進によって造られたのが、千手堂の鑑真和上坐像です。

    このお像は、唐招提寺の鑑真和上像(奈良時代)を忠実に模刻したもので、静寂な表情や衣の皺までよく写されています。
    瞑目した姿からは、渡日の苦難で失明した苦節の日々が伝わってくるようです。

    戒律とは、正式な僧となるために守らなくてはならない決まりのこと。鑑真和上は当時の中国(唐)における戒律の第一人者でした

    「鑑真和上」の御朱印300円。千手堂の特別公開を記念し、新たに授与されることになりました
    04

    東大寺ミュージアムとうだいじミュージアム

    至宝の連続!
    見所満点のミュージアム

    東大寺に連綿と受け継がれてきた寺宝を展示するミュージアムです。
    館内に入ると、釈迦の生まれたばかりの姿を表した「誕生釈迦仏立像」。続いて、天平彫刻を代表する法華堂(三月堂)の「日光・月光(がっこう)菩薩立像」や、三昧堂(四月堂)の「千手観音菩薩立像」など、国宝・重要文化財クラスの仏像がずらり。
    ほかにも、大仏殿を造立する際、土地の神様を鎮めるために大仏さま(盧舎那仏)の足元に埋められていた「東大寺金堂鎮壇具(ちんだんぐ)」や、大仏開眼の際に使用されたと伝わる「伎楽面(ぎがくめん)」など、非常に貴重なものばかり展示されており、東大寺の歴史と仏教美術をたっぷり堪能できます。

    併設のミュージアムショップへの立ち寄りもお忘れなく。おみやげにぴったりの東大寺グッズが揃ってます。

    • 誕生釈迦仏立像(国宝/奈良時代)。生まれてすぐに七歩歩き、右手で天を左手で地を指し「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えた釈迦の様子を表しています

    • 塑造四天王立像(国宝/奈良時代)。本来は戒壇堂に安置されていた仏像ですが、戒壇堂の修理工事のため東大寺ミュージアムに移されました。工事完了(2023年予定)までの期間限定で特別公開されています(写真/佐々木香輔 )

    • 館内に併設されたミュージアムショップ。東大寺ゆかりのグッズを販売しており、無料で入ることができます

    • 「東大寺薬湯」2包入り800円。大和当帰(やまととうき)など8種類の生薬を複合配合した入浴剤です

    • 左から「東大寺×白雪ハンカチ」660円、「東大寺×白雪ふきん」550円。白雪ふきんとコラボしたオリジナル商品です

    • 東大寺ミュージアム。入口付近には実物大の大仏さまの手のひら(レプリカ)が展示されています

    詳細情報

    住所
    奈良市水門町100
    電話
    0742-22-5511
    拝観時間
    4~10月9:30~17:30(最終入館17:00)、
    11月~3月9:30~17:00(最終入館16:30)
    入館料
    600円、大仏殿とのセット券1,000円
    アクセス
    近鉄奈良駅からバス約4分「東大寺大仏殿・春日大社前」下車、徒歩約7分
    WEB
    http://culturecenter.todaiji.or.jp/museum/
    05

    七福食堂しちふくしょくどう

    心と体がほぐれていく
    季節を彩る丁寧な定食

    東大寺から、趣きある町並みが広がるならまちへ。
    七福食堂は、月替わりの定食が評判のお店です。
    旬の食材を使って丁寧に仕上げた「季節の定食」は、素朴ながらじんわりとあたたかくなる味わい。
    発酵食や薬膳料理が得意なスタッフが、「体も心も和ませてほしい」と季節ごとの“香り”を大切にメニューを組み立てています。
    たとえば、3月ならひな祭りを意識してちらし寿司を取り入れるなど、行事に関連する料理が登場することもあり、忙しい日常の中で忘れがちな季節の移ろいを感じられるのが、こちらの魅力です。

    • 季節の定食1,300円。内容は月替わり。数量限定なので事前予約がおすすめ

    • 白と木目を基調としたシンプルな店内。喫茶メニューも揃います

    • 昭和の風情が残る印刷会社の1階部分をリノベーション

    詳細情報

    住所
    奈良市鳴川町19
    電話
    070-1800-0789
    営業時間
    11:30~18:00 
    ※季節の定食は15:00まで
    定休日
    火・水曜 
    ※木曜は喫茶のみ営業
    アクセス
    近鉄奈良駅から徒歩約15分
    SNS
    https://www.instagram.com/shichifuku.shokudo/
    06

    御霊神社ごりょうじんじゃ

    美しい限定御朱印を求めて
    ならまちの氏神様へ

    桓武天皇の勅命により、 800年に創建された神社です。
    4年ほど前から始めた、月替わりのカラフルな限定御朱印が話題で、遠方からも毎月お詣りに訪れる人が増えたそう。月替わりの御朱印は、その月に関連する行事や花などを手彫りはんこで表現したもの。
    また、2022年1月1日から頒布が始まった「神獣四神切り絵御朱印」は、方角を司る四神を精緻な切り絵で表現した御朱印。
    桓武天皇が都を平安京に遷す際、中国の四神相応(東西南北の守護神に守られた土地)の考えに基づいて、山々に囲まれた平安な土地を求めたことに由来し、参拝者の平安を願って生まれた御朱印です。

    • 神獣四神切り絵御朱印1枚1,500円。東の青龍(青)、南の朱雀(赤)、西の白虎(白)、北の玄武(緑)の4種類あります

    • 月替わりの御朱印1,000円。写真は2月の御朱印で、七十二候「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」をモチーフした絵柄

    • 拝殿奥の本殿に御祭神の井上(いがみ)皇后や他戸(おさべ)親王ら八柱の神様がまつられています

    • 縁結びや開運出世にご利益があると信仰されている出世稲荷神社

    • 家出人や悪所通いの足が止まるようにと狛犬の前足に願掛けをする「足止めの狛犬」

    詳細情報

    住所
    奈良市薬師堂町24
    電話
    0742-23-5609
    拝観時間
    9:00~16:00
    拝観料
    無料
    アクセス
    近鉄奈良駅から徒歩約15分
    WEB
    https://naramachigoryojinja.amebaownd.com/
    SNS
    https://www.instagram.com/naramachigoryojinja/
    07

    生姜足湯休憩所しょうがあしゆきゅうけいしょ

    疲れた足が軽くなる!
    生姜の足湯でデトックス

    散策の途中にぜひ立ち寄りたいのが、足湯ができるこちらのカフェ。
    1人に1つ、保温性の高い吉野杉の樽が置かれ、その中にすりおろした生姜をたっぷり入れたお湯が張られています。
    体を温めることで知られる生姜は、すりおろすことで酵素が増え、血流改善やデトックス、疲労回復などに効果を発揮するそう。足を浸けて20分ほど経つとポカポカに。足先から充分にあたたまることで温もりが持続し、足が軽くなるのを実感できます。
    足湯には生姜と黒糖のみで煮出した「ひとくち生姜シロップ」が付き、飲むとさらに体内の代謝があがってほっこりします。

    • 生姜入りの袋を足で踏むと香りが立ち、生姜の成分が湯に溶け出してじんわりとあたたまってきます。お湯が冷めたときのための差し湯も用意されています

    • 生姜を使った自家製の季節のドリンクも。ホットアップルジンジャー660円(冬期限定)

    • 築140年の古民家を建築家のオーナーが改装。2階は1日1組限定の宿

    詳細情報

    住所
    奈良市福智院町1-3
    電話
    080-3771-5354
    営業時間
    11:00~17:00(季節により変動あり)
    定休日
    月~木曜
    アクセス
    近鉄奈良駅から徒歩約17分
    WEB
    https://hitotomori.net/footbath/
    SNS
    https://www.instagram.com/hitotomori_nara/
    08

    喜光寺きこうじ

    東大寺大仏殿の
    テストモデル!?
    行基さん創建の古刹

    平城宮跡の西側に位置する喜光寺は、奈良時代の高僧・行基(ぎょうき)菩薩が721年に創建したお寺です。
    行基菩薩は、聖武天皇から東大寺大仏建立の勧進役を与えられ、ここを拠点に全国を行脚しました。功を立て、聖武天皇から日本で初めて、僧侶の最高位である大僧正(だいそうじょう)に任じられます。
    創建時は「菅原寺」という寺名でしたが、748年、病に倒れた行基菩薩を気遣って聖武天皇が行幸した際、ご本尊から不思議な光が放たれ、そのことを喜ばれたことから「喜光寺」という名を賜ったといいます。
    本堂は、行基菩薩が東大寺造営に先立ち、大仏殿の雛型として建てたという伝承があることから「試みの大仏殿」と呼ばれています。
    現在は、「ハスのお寺」として知られ、見ごろを迎える夏には約80種250鉢のハスが境内を彩ります。

    • 左が佛舎利殿、奥が「試みの大仏殿」と呼ばれる本堂(重要文化財)、右が南大門

    • 本堂内には本尊・阿弥陀如来坐像(重要文化財)、脇侍の勢至菩薩坐像(左)と観世音菩薩坐像を安置します

    • 行基堂に安置される行基菩薩坐像。唐招提寺所蔵の行基菩薩坐像(重要文化財)のご分身

    • 本堂に掲げられている「菅原寺」の扁額

      仏教の世界では清らかな花とされるハス。6月下旬~8月上旬に見ごろを迎えます

    • 行基菩薩の御朱印300円。行基菩薩の印の上に「無財七施」と記されています

    詳細情報

    住所
    奈良市菅原町508
    電話
    0742-45-4630
    拝観時間
    9:00~16:30(受付は16:00まで)
    拝観料
    500円
    アクセス
    近鉄尼ヶ辻駅から徒歩約10分
    WEB
    https://kikouji.com/
    SNS
    https://www.instagram.com/kikouji.gyouki/

    行基さんはどこを向いている?

    「試みの大仏殿」と称される喜光寺の本堂を目にすると、行基菩薩の大仏造立に対するひたむきな思いが伝わってくるようです。

    南大門から望む本堂(重要文化財/室町時代)。寄棟造の屋根やその下に裳階(もこし)が付く建築デザイン、重厚で荘厳なたたずまいなど東大寺大仏殿に通じるものがあります

    創建時(奈良時代)の本堂は室町時代の1499年に焼失したため、現在の本堂は1544年に再建されたものです。

    本堂の高さは約17m。
    堂内で天井を仰ぎ見ると、抜けるような高さがある点も東大寺大仏殿を彷彿とさせます。

    堂内。天井の高さに目を奪われます

    行基菩薩は、橋・港・川・池などといった土木事業や、民衆救済の福祉事業に取り組みながら民間布教を展開しました。
    行基菩薩を慕って付き従う集団が増え続けたため、それを危険視した当時の朝廷によって、行基菩薩と弟子たちは弾圧されてしまいます。

    行基菩薩の人気は絶大で、村から村へと説法して回るとそのたびに千人もの人々が集まるほどだったといいます。写真は行基堂に安置される行基菩薩坐像

    やがて聖武天皇の御代になると、行基菩薩の活動は理解され始めますが、大地震や天然痘が流行するなど、日本は国難に見舞われます。
    鎮護国家を願った聖武天皇は東大寺の大仏造立を発願し、民衆から篤く慕われる行基菩薩に協力を求め、造立の資金や資材を募る「勧進」職に抜擢しました。
    その4日後には、行基菩薩は弟子たちを率いて全国行脚に出かけたといいます。

    本堂の北西にある行基堂。2014年、行基菩薩の遺徳を偲んで建立されました

    行基菩薩は喜光寺を拠点にして、大仏造立のための勧進の陣頭指揮をとっていました。
    しかし晩年、病に倒れ、 最後の大仕事である大仏の完成を見ることなく、 749年に82歳の生涯を閉じます。大仏開眼の3年前でした。

    喜光寺の行基堂は、東を向いて建てられています。行基菩薩坐像の眼差しの先にあるのは、ほかでもない東大寺大仏殿です。
    大仏造立の立役者として、いつでも大仏さまを見守っています。

    東大寺大仏殿のある東方を見つめる行基菩薩坐像
    09

    唐招提寺とうしょうだいじ

    清廉な空気が流れる
    鑑真さん創建の古刹

    戒律を伝えるため、多くの苦難の末に来日を果たした唐の高僧・鑑真和上によって創建されたお寺です。
    鑑真和上は東大寺で5年過ごしたのち、下賜された新田部(にたべ)親王の旧邸宅跡に、戒律を学ぶための修行道場を759年に開きました。それが唐招提寺の始まりです。
    静謐な美しさが漂う境内には、盧舎那仏(るしゃなぶつ)をご本尊としてまつる金堂をはじめ、平城宮の宮殿建築として唯一現存する講堂や、日本最古の校倉(あぜくら)である経蔵(きょうぞう)など、天平時代を彷彿とさせる堂宇が厳かにたたずんでいます。
    御影堂(みえいどう)は鑑真和上坐像(国宝)を安置する瀟洒なお堂で、2017年から始まった保存修理工事が2022年3月に完了しました。

    • 金堂(国宝/奈良時代)。8世紀後半の創建時の姿を残す代表的建築物。堂内中央にご本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が安置されています

    • 入口にあたる南大門。孝謙天皇の筆による扁額(複製)が掲げられています

    • 鑑真和上の墓所「開山御廟(かいざんごびょう)」へと至る参道に美しい苔庭が続きます

    • 鑑真和上が3種の蓮根(レンコン)を持ち込んだと伝わり、以来ハスを大切に栽培しています

      「招提みそ」1,000円。鑑真和上が日本への船旅の糧として持参した味噌を現代風に復刻したもの。売店で購入できます

    • 「鑑真大和上」御朱印300円。鑑真和上坐像の印が押されています。授与は書き置きのみ

    詳細情報

    住所
    奈良市五条町13-46
    電話
    0742-33-7900
    拝観時間
    8:30~17:00(受付は16:30まで)
    拝観料
    1,000円
    アクセス
    近鉄西ノ京駅から徒歩約10分
    WEB
    https://www.toshodaiji.jp/
    SNS
    https://twitter.com/Toritsushodai

    鑑真和上は境内のどこで暮らした?

    鑑真和上が日本に来たのは、66歳のとき。それから入寂する76歳までの10年間のうち、5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごしました。

    鑑真和上にとって、東大寺での5年間は「国家の礎を築いた」歳月、唐招提寺での5年間は「次代の担い手を育てた」歳月でした。

    鑑真和上坐像(※写真は御身代わり像)。御影堂に安置される鑑真和上坐像(国宝/奈良時代)は日本最古の肖像彫刻で毎年6月5・6・7日の3日間だけ特別公開されます(※開山堂にまつられる「御身代わり像」は通常拝観可)

    754年、鑑真和上は東大寺大仏殿前に築いた戒壇で、聖武太上天皇や光明皇后、孝謙天皇をはじめとする僧俗400人余りに戒律を授けました。

    その後、東大寺戒壇院の北方に建てられた唐禅院に住まいながら、全国の僧侶を取りまとめる僧綱(そうごう)という役職につきます。
    当時の東大寺は国内最高峰の学問機関。鑑真和上が任命された僧綱は、現代でたとえると国立大学の学長のようなポストだったといいます。

    現在の東大寺戒壇堂付近

    国家の僧として戒律全般を取り仕切る激務を5年間務めた鑑真和上は、70歳を超え、高齢のため引退します。

    「僧を国家の管理のもとにおく」という国の制度としての戒律を担うポストから退いた鑑真和上は、志のある者が自由に戒律を学ぶことができる私寺として、唐招提寺の建立に取りかかります。

    開山御廟を囲む土塀

    鑑真和上にとって唐招提寺は、自分の望む伝法に没頭できる理想的な環境だったと思われます。
    というのも、東大寺にいたときは国家の僧としての役割上、自由には弟子を取れませんでしたが、唐招提寺ではそれが叶ったからです。

    開山御廟に続く参道。青々とした苔が美しく映えます

    鑑真和上が唐から日本へ渡ってきた際、鑑真和上とともに14人の高僧がこぞって来日しました。
    高僧には必ず複数の侍者がつくので、計50人を超える大所帯と想像できます。その大多数が鑑真和上を慕って唐招提寺に集まったといいます。

    お寺は活気づき、かつてなかった高水準の仏教芸術が生み出されるなど、唐招提寺はこのとき最盛期を迎えました。

    僧となるための授戒が行われる「戒壇」。創建時に築かれ、現在の建物は1978年にインド・サンチーの古塔を模して築かれた宝塔

    金堂の北西に、「西室跡」という南北に細長い区画があります。ここは僧侶たちが居住する長屋が建っていた跡で、その一番北側の一段高くなっているところが鑑真和上の居室でした。

    鑑真和上の生前、弟子の忍基(にんき)が中心となって、うつしみの鑑真和上坐像を造りますが、763年に和上が遷化すると、そのお像は鑑真和上を偲んでこの居室に江戸時代末期までおまつりされていたそうです。
    そのため唐招提寺の僧侶はここを「開山堂跡」と呼んでいます。

    西室跡。写真右奥に見えるのは本坊の門

    今は礎石を残すばかりの西室跡ですが、かつてここには同じ志でつながった僧侶たちが枕を並べ、明日の日本仏教に思いをはせていました。
    鑑真和上は、そんな頼もしい弟子たちの息遣いをそばで感じ、やさしく目を細めていたことでしょう。

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