今から2600年余り前。天照大神の子孫といわれている神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(のちの神武天皇)は、日向国(現在の宮崎県)の高千穂宮に住んでいました。45歳の時、すべての人々が平和で豊かに暮らせる国をつくることを決意し、日本の中心地を目指して東へと向かいます。
出発してしばらく順調な船旅が続きましたが、目指す大和の国(現在の奈良県)を目前にした孔舎衛坂(現在の東大阪)の地で、豪族・登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)の待ち伏せに遭遇。兄の五瀬命(いつせのみこと)が敵の放った矢に倒れます。
退却を余儀なくされ、海に逃れますが、これまで苦楽を共にしてきた兄が無念の死を遂げました。肉親を亡くした悲しみに追い打ちをかけるように、激しい暴風雨が船を襲います。
ようやく紀国(現在の和歌山県)の熊野に上陸した神日本磐余彦尊は、天照大神の遣わせた神鳥・八咫烏(やたがらす)の導きのもと、行く先々で土着の国つ神(くにつかみ)たちを付き従え、荒ぶる神々との争いを制し、最後は仇敵・登美能那賀須泥毘古との戦いにも勝利しました。
そうして神日本磐余彦尊は、過酷な苦難に遭いながらも、強い志と天照大神の力添えなどで窮地を切り抜け、ついに大和を平定。橿原宮で第一代神武天皇として即位しました。
ここから、日本という国の歴史が始まったといわれています。
橿原という地には今も、神話の時代から古代・中世・近世・近代と、いくつもの時代が息づいています。
神武天皇を祀る橿原神宮が鎮座するのは、「万葉集」にも歌われる畝傍山(うねびやま)の東南麓。まさに橿原宮があったとされる場所です。
橿原神宮の創建は明治23年。以来、第一代天皇を祀るお社として日本全国から崇敬を集めてきました。令和2年に創建130年を迎えることから、来年は4月2日の御鎮座百三十年記念大祭を中心に記念事業が催されます。
境内は「日本建国の地」との言い伝えにふさわしい荘厳な雰囲気。社殿に近づくほど、あたりは清浄さを増していくよう。
心を静め、新しい自分の始まりを神様に約束するとき、日本の原点から吹く風は、あなたの頬をそっと優しく撫でることでしょう。