日本全国からの祈りによって育まれた杜に包まれる「表参道」(おもてさんどう)。広大な参道で、第一鳥居から南神門(みなみしんもん)前広場まで西に向かって約300m真っすぐに伸びています。
参道の両脇に広がる杜は、昭和15年(1940)の宮域拡張整備の際に植えられた木々が生長したもの。植栽されたのは橿原の地名にちなんでカシ類を主とする樹木7万6,000本余り。うち2万2,000本近くは日本全国から寄せられた献木で、神武天皇の即位2600年をお祝いする人々によって1本1本、祈りを込めて植えられました。その中には、あなたの住む町からの献木もあるかもしれません。
神域への入口となる鳥居は4基。そのうち、表参道に建つ第1鳥居は高さ10mクラスの大鳥居です。いずれの鳥居も素木造り(しらきづくり)といって、色を塗らずに木の地肌や風合いをそのまま生かした造り。これは橿原神宮が皇室ゆかりのお社であることを示していて、一般的に、ご祭神が「天皇」もしくは「天皇や天照大神の系譜」の神社の場合、鳥居は素木造りといわれています。
鳥居に使われている木材は、とても貴重な台湾・阿里山産のヒノキ。昭和14年(1939)の建立以来、風雪に耐えながら80年近く参拝者を迎えてきましたが、長年の自然環境により劣化が進んできたため、令和2年(2020)の御鎮座130年の際に改修工事が行われました。
橿原神宮の境内の中で最も古い場所。橿原神宮ができるよりずっと前、少なくとも万葉の時代から既に存在していたといわれ、古より続く橿原という地の歴史の深さを感じます。南神門前広場の南方にあり、面積は約1万5000坪。畝傍山の南斜面から流れ込む雨水が水源となっています。
自然豊かな深田池は、奈良県内でも有数の野鳥の飛来地。アオサギやカワセミをはじめ数多くの野鳥が生息していて、普段あまり耳にしない野鳥の鳴き声や、池の中の魚めがけて飛び込む野鳥の姿も。秋には、マガモやオシドリなどのかわいい渡り鳥もやってきます。
遊歩道が整備されていて、池の畔をゆっくり散策することができるので、参拝後にぜひ立ち寄ってみてください。
国歌「君が代」の歌詞「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまで」に出てくる「さざれ石」。その名を口にしたことはあっても、一体どんな石なのか、あるいは実在しないものだと思っている方も多いのでは?
外拝殿(げはいでん)向かって右手には、「さざれ石が巌になった」状態の実物が置いてあり、誰でも自由に見ることができます。
「さざれ石」を漢字で書くと「細石」。「小さな石、細かい石」という意味です。「巌」とは、たくさんの「さざれ石」が長い年月をかけて引っ付き、一つに大きく固まった岩のこと。一般的に「さざれ石」という場合、この「巌」状態を指すことが多いようです。
さざれ石は、弥栄(いやさか)の象徴。ますます栄えるようにとの願いが込められています。
その大きさにびっくり!高さ4.5m、幅5.4m。一般的な絵馬に比べて1600倍近くもあるという巨大な絵馬。これは今上天皇の生誕を祝って、昭和35年(1960)より奉納が行われています。毎年、年末になると外拝殿に翌年の新しい大絵馬に替わるのが恒例となっています。
これを描いたのは、橿原市在住の日本画家・藤本静宏さん。大絵馬の描き手は、藤本さんで6代目。大きな絵馬の前で写真を撮ると、良運が駆け寄ってくるようです。
第一代天皇をお祀りするために、近代の神社建築の粋を尽くした造りになっています。
外拝殿は入母屋造(いりもやづくり)で、広がっていくような屋根の形は「争うことなく一つの屋根の下で肩を寄せ合って暮らせる世界を」という神武天皇の理想を表しています。
外拝殿の石階段を上がると、そこには大柱が並び立ち、居住まいがただされるような豪壮な造り。その威風に背筋が真っ直ぐ伸びます。正面を向くと、「外院斎庭(げいんのゆにわ)」。白い砂利が敷き詰められた白洲はまばゆく、その奥に見える内拝殿(ないはいでん)の美しさにまた心が洗われます。内拝殿は毎年2月11日「建国記念の日」に行われる例祭「紀元祭」などの橿原神宮の祭典や、特別参拝が行われる拝殿です。
※内拝殿には通常入れません
御本殿に鎮まるのは、ご祭神の神武天皇とその皇后・媛蹈韛五十鈴媛命皇后(ひめたたらいすずひめこうごう)の2柱。
非常に珍しいことに、橿原神宮の御本殿の屋根には普通あるはずの千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)がありません。
なぜなら御本殿は明治23年(1890)の橿原神宮創建の時、明治天皇から下賜された京都御所内の内侍所(ないしどころ)を移築したものだからです。そもそも内侍所とは、「恐れ畏(かしこ)むべき所」であることから賢所(かしこどころ)と呼ばれ、天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られていた最も神聖な御殿。天皇からいただいた尊く大切なものなのです。その大切な御殿に人の手を加えることは畏れ多く、通常は本殿の屋根にある千木・鰹木は置かれていません。
そのため異例ですが、千木と鰹木は、社殿の中でも御本殿に続いて大事な建物である幣殿(へいでん)の屋根に置かれることとなりました。外拝殿で参拝するとき、光り輝く千木が見えますが、実はそれは御本殿ではなく幣殿の屋根。御本殿は幣殿のさらに奥にあり、外拝殿からは見えません。
御本殿は安政2年(1855)の建造で重要文化財。古式に則った日本の寝殿造の面影を残す造りになっています。
※御本殿へは直接参拝はできません
神武天皇が眠る陵墓で、正式には「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」といい、畝傍山の東北の麓にあります。円丘で周囲約100m、高さ約5.5m。橿原神宮から神武天皇陵へ行くときは、北神門から出て、森厳な北参道を通って行くのがおすすめ。周辺には第2代・綏靖(すいぜい)天皇、第3代・安寧(あんねい)天皇、第4代・懿徳(いとく)天皇などの御陵が点在しています。
神武天皇陵といえば、皇室と深いゆかりがある場所。平成31年3月26日、天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后)が神武天皇陵を訪ねて「親謁(しんえつ)の儀」で神武天皇に退位を奉告されました。
日本建国の聖地を麓に抱く畝傍山・耳成山(みみなしやま)・香具山(かぐやま)は「大和三山(やまとさんざん)」と呼ばれ、古来、人々に親しまれてきた国の名勝。「万葉集」には大和三山を男女の三角関係に見立て、畝傍山をめぐって耳成山と香具山が争う中大兄皇子の歌が収められています。
「かぐ山は 畝火ををしと 耳成と 相あらそひき 神代より かくなるらし いにしへも しかなれこそ」。
…香具山は畝傍山をめぐって耳成山と争った。遠い昔の神代からこうだったのだから、今も人は愛をめぐって争うのだろう…
畝傍山は高さ約200m。大和三山の中で最も高い山ですが、橿原神宮の北参道にある登山道入口から山頂まで30分ほどなので、ぜひ登拝を。歌に出てくる耳成山と香具山を望むことができます。
授与所は、お守りやおみくじ、御朱印などを授与していだだく場所です。
橿原神宮は開運・厄難解除・交通安全など、さまざまなご利益をいただけることからお守りの種類も豊富。なかでも、神武天皇を勝利へと導いたと伝わる金鵄(きんし)をモチーフにした「勝ち守」は、目標を勝ち取り心願が叶うよう祈りが込められており、ご利益が大きいと人気のお守り。
お守り以外にも、つぶらな瞳が愛らしい金鵄みくじや、神武天皇が勝敗を占ったとされる鮎をかたどったおみくじも。持ち帰って大切に飾りたくなる授与品が揃います。