「興福寺の中心だから“中”金堂なんだ!」
中金堂の前に立てば、あなたもきっと、実感できるはず。
広い境内の中枢に、壮大華麗な姿を現した、中金堂。
その東には室町時代再建の国宝・東金堂と五重塔が並び、
西にはかつて西金堂(さいこんどう)がありました。
金堂とは、本尊仏を安置する寺院で最も大切なお堂。
創建時の天平時代から三つの金堂の中心にあり、
境内すべての中枢にあたる中金堂は、
昔も今も、興福寺の精神の“ザ・センター”なのです。
金色に輝く本尊・釈迦如来坐像を真ん中に、諸仏が安置された中金堂の内部。注目は、本尊を四方から囲むようにしてお護りする4躰の仏像、国宝・四天王立像。鎌倉時代の天才仏師・運慶が率いた工房の作と考えられ、峻厳な表情と躍動感あふれる姿が生き生きと迫ります。中金堂再建にあたり、興福寺に伝わる数組の四天王立像の中から、天井が高く広々とした新空間に最も調和する像として、南円堂の四天王像をお招きしたそうです。
中金堂を支える66本の巨大柱。直下の地中には66個の礎石が整然と並んでいます。今回行われた発掘調査では、そのうち64個が天平時代のものであり、中金堂は焼失するたび、創建時の礎石の上に再建されてきたことがわかりました。また、約10mの柱もある巨大柱の原木は国内で調達ができず、ようやく見つけたのが中央アフリカ産ケヤキでした。海を渡った原木は天平時代と同じくヤリガンナで仕上げられ、古来の道具と手作業から生まれる独特な凹凸が温もりを感じさせています。
鮮やかな朱色の柱と「あをによし」の光景
奈良の枕言葉「あをによし」。解釈は諸説ありますが、鮮やかな色の中金堂を見ると、「あを」は瓦や連子窓の緑、「に(丹)」は柱の赤、奈良を彩る華麗な色彩を指す、という説にうなずけるかもしれません。
中金堂の屋根は、大きな屋根の下にもう1層小さな屋根が付いた2層構造が特徴です。使用した瓦は27種類71,000枚、重量約230t。延べ9,000人の職人が3年をかけて用意し、延べ9,000人がかりで葺きました。じつは、軒下から瓦を見上げると、あちこちで一般の方々が瓦を寄進する際に書いた「願文」の墨文字が“はみだして”いるのが見つかります。少々想定外の出来事だったそうですが、人々の想いが伝わってくるようですね。
屋根の上で輝く、一対の鴟尾。飛鳥・奈良時代から重要な建物に設けられ、水害を防ぐ魔除けとも考えられています。屋上にあるため小さく見えますが、鴟尾の高さは2.03m。青銅製で1基につき1.1tの重さがあります。正面に向かって左(西)にある鴟尾の背面には、「天平の風彌り、鴟尾、光を放ち…」、と中金堂の再建を祝い、安寧を祈る内容の銘文が刻まれています。カメラや双眼鏡のズームなども駆使して、ぜひご覧ください。