仏教伝来の地 ぶっきょうでんらいのち
大和川沿いにある海柘榴市(つばいち)と呼ばれるエリアで、古代、大陸からの船が到着し、交易地としてにぎわっていた場所です。『日本書紀』では欽明天皇13年(552)、百済からの使節がこの地に上陸して仏像や経典を献上したとあり、これが日本への仏教伝来とされています。遣隋使の小野妹子が帰国したのもこの地でした。現在は「仏教伝来之地」の碑が建てられ、河川敷公園として整備されています。
- 住所
- 桜井市大字金屋
日本最古の道も、奈良にありました。
山の辺の道。声に出して読むと、どこかのんびりとした懐かしい響き。三輪山(みわやま)の麓から春日山(かすがやま)の麓へと奈良盆地の東の山裾を縫うように続く古道で、日本最古の道の一つといわれています。
大和の集落や市、天皇の陵墓など、神聖な場所や重要な拠点を結びながら生まれた古代の道を、今もほとんど姿を変えることなく歩くことができます。
三輪から奈良市内に続く山の辺の道の散策ルートとしては、桜井市の「仏教伝来の地」付近から天理市の長岳寺(ちょうがくじ)に至る約6kmの区間がおすすめ。
山岳の険しい山道ではなく、アップダウンの少ないゆるやかな道なので、気軽に歩くことができます。一部を除いて、その行程のほとんどが土の感触を楽しめる未舗装路というのも大きなポイント。
道幅2mに満たない、人がやっとすれ違うことができるだけの小道に、次々と現れる様々な景観。柿畑や梅林、古い家並みの集落があり、山道に入ったかと思えばやがて視界が開け、奈良盆地や大和三山、遠くに二上山も。変化に富んだ道のりは飽きることがありません。
しかも道の途中、古社寺や古墳群などといった多くの史跡をはじめ、『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』ゆかりの地名や伝説と出会えるのが魅力です。
この日本最古の道には、太古に遡ることができる特別なものが、当たり前に存在しています。
いにしえ人も往来したであろう道をのんびり歩くうち、ココロのコリも消えていくよう。いつの間にか古代の息吹に包まれ、歩く喜びを全身で感じている自分がいることでしょう。
そんな山の辺の道の見どころを、ご紹介!
大和川沿いにある海柘榴市(つばいち)と呼ばれるエリアで、古代、大陸からの船が到着し、交易地としてにぎわっていた場所です。『日本書紀』では欽明天皇13年(552)、百済からの使節がこの地に上陸して仏像や経典を献上したとあり、これが日本への仏教伝来とされています。遣隋使の小野妹子が帰国したのもこの地でした。現在は「仏教伝来之地」の碑が建てられ、河川敷公園として整備されています。
聖徳太子の開基と伝わり、かつては大神神社の神宮寺として信仰を集めていました。明治の神仏分離令により廃寺となりましたが、曹洞宗の寺院として再興され、現在は伽藍も復元されています。近くにある「金屋の石仏」はかつて平等寺にあったものです。本尊の秘仏・十一面観音像は毎年8月1日に開扉されます。
大神神社の大鳥居の脇にある、弘化年間(1844~1848)創業の和菓子店。初代が考案し一子相伝で受け継がれてきた、もなか「みむろ」で知られています。大神神社のご神体、三諸山(みもろやま/三輪山の別称)から名付けられました。サクッとしたもなか皮に、粒餡とこし餡を別々の釜で炊き上げた後に混ぜ合わせた「鹿の子餡」をたっぷりはさんでいます。店内の茶寮で、抹茶と一緒にどうぞ。本店の前からは大鳥居と三輪山をきれいに撮ることができます。
大神神社の二の鳥居近くに店を構えるそうめん処。こちらで使用するのは、そうめんの等級の中でも上級の「緒環(おだまき)」という細麺を2年寝かした古物(ひねもの)。コシが強くのど越しのいいそうめんです。冷やしそうめんは3月末~11月に、にゅうめんは1年中味わえます。昔ながらの製法で作る自家製の柿の葉寿司とのセットがおすすめ。喫茶もできます。
太古から神聖視されてきた三輪山をご神体とし、拝殿から三輪山を拝む原初の神祀りを残す神社。ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は、神様の中の大神様。すべてのものを司ることから、生活万般にわたる守護神として崇められています。古代から神縁深い卯(うさぎ)をかたどった青銅製の「なで兎」は、なでると運気がアップするといわれています。
※「なで兎」は現在、一時中止しております
(2020年9月時点)。
江戸時代創業のそうめんの老舗「池利」が営むそうめん専門の食事処。直営店ならではのリーズナブルな価格で味わうことができるとあって地元でも評判です。こちらの特徴はメニューのバリエーションの豊富さ。玉子麺や抹茶麺などを盛った冷やしそうめんや、トマト味噌にゅうめんなど、オリジナリティの高いそうめん料理が揃います。
狭井神社のほど近くに建つ、山の辺の道沿いの隠れ家カフェ。名物は三輪のご神水を使って手作りするわらびもち。香り高い挽き立てのきな粉と、沖縄の黒糖と三輪の水だけで作る黒蜜をかけていただけば、優しい味わいに疲れも癒されます。カウンター席のほかオープンテラスがあり、庭に咲く四季折々の花を愛でながらほっとできます。
桓武(かんむ)天皇から厚い信任を得ていた平安時代の高僧・玄賓僧都(げんぴんそうず)が、俗世を離れて隠棲したと伝わる寺。山道の途中に石畳と白塀が現れ、ひっそりとした境内のお堂に本尊の不動明王像(重要文化財)などがお祀りされています。玄賓と三輪の神様との物語を描いた、世阿弥(ぜあみ)作と伝わる謡曲「三輪」の舞台にもなっています。
檜原神社から南へ数分のところに立つ「山の辺の道」の碑は、ハイキングをする人たちにとって目印となる大切な道しるべ。石碑の文字は、文芸評論家の小林秀雄によるもの。この辺りは空を隠すほどの大きな木が覆い茂り、未舗装の山道が残る場所。澄み切った空気のなか、木の根が隆起するゆるやかな坂道を一歩一歩進むと、気持ちがリフレッシュしていきます。
日本の景観百選にも選ばれる井寺池。その畔に文豪・川端康成の原稿文字で書かれた倭建命の歌碑があります。倭建命は『古事記』や『日本書紀』に登場する悲劇の英雄。碑文には東国平定からの帰途、病魔にむしばまれた倭建命が力尽きる前、故郷の大和を偲んだ歌が刻まれています。ここに立つと手前に箸墓古墳、遠くに二上山が見渡せます。振り返れば、池の水面に映り込んだ三輪山がとてもフォトジェニック。
崇神(すじん)天皇の御代まで宮中で祀られていた天照大御神(あまてらすおおみかみ)を初めて外にお祀りしたのが、この場所です。天照大御神が伊勢神宮に遷った後も「元伊勢(もといせ)」と呼ばれ、信仰を集めてきました。大神神社の摂社である檜原神社は、本社と同様に三ツ鳥居(みつとりい)が設けられています。境内からは遠く二上山が望め、夕日が沈む幻想的な情景を楽しめるビュースポットとなっています。ちなみに、春分の日と秋分の日付近には、二上山の峰の間に日が沈む夕景を見ることができます。
古代ヤマト王権の本拠地だったとされる纏向(まきむく)遺跡の南端に位置する、全長272mの大型古墳。最古級にあたる3世紀中頃から後半の前方後円墳です。倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の陵墓として宮内庁が管理していますが、邪馬台国の女王、卑弥呼の墓ではないかという説もあり、素粒子ミューオンを使って内部の様子を把握する調査・研究が進められています。
垂仁(すいにん)天皇の時代に、野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)が史上初めて天覧相撲をとったと伝わる相撲発祥の地。勝者となった野見宿禰が祀られています。境内中央には土俵跡があり、土俵の盛り土の四隅には四本柱の代わりにヒノキの木が植えられています。令和2年(2020)初場所で奈良出身の徳勝龍が優勝したことから一層注目を集めています。顔はめパネルで、あなたも力士気分に!
額田王といえば『万葉集』随一と評される女流歌人で、その歌碑は景行(けいこう)天皇陵の東南にあります。歌碑には、飛鳥から大津への遷都によって、これまで毎日眺めてきた三輪山との別れを惜しむ歌が刻まれています。ここは三輪山がすっきり見渡せる、人気フォトスポット。まほろばと呼ぶにふさわしい風景が広がっています。
古代ヤマト王権の創始者とされ、実在最古の天皇といわれている崇神天皇の陵墓。崇神天皇は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を国造りの神として大神神社に祀った天皇でもあります。陵墓は4世紀後半の築造と推定される全長242m、周濠を含めると全長360mの大型の前方後円墳。緑に囲まれ奈良盆地から二上山まで見える眺望にも恵まれているため、散策途中の休憩ポイントとしてもオススメです。
地元出身のオーナーシェフが、大阪で営んでいた人気の洋食店「洋食Katsui」を、天理市トレイルセンター内に移転。大きな有頭海老2尾が付くエビフライ定食をはじめ、ハンバーグステーキや黒毛和牛の網焼きなど、ハイカーらが目指す絶品洋食が味わえます。山の辺の道に関する展示や休憩スペースも設けているのでぜひお立ち寄りください。
天長元年(824)、淳和(じゅんな)天皇の勅願により弘法大師が開いたとされる古刹。鐘楼門(しょうろうもん)は、梵鐘を吊るす鐘楼門として日本最古。また大仏師と称えられる運慶(うんけい)の父・康慶(こうけい)の作とされる本尊・阿弥陀如来坐像は、玉眼を用いた仏像として日本最古とも言われています。関西花の寺霊場として特にカキツバタやツツジが有名で、境内には猫がくつろぐ姿があちこちに。重要文化財の庫裏(くり)では三輪そうめんをいただくこともできます。