修学旅行で東大寺。その経験がやがて、 いまの自分の“モノサシ”になる面白さ。
お参りに来られた方とお話する機会に「東大寺には初めて来られましたか?」とよくお尋ねします。すると多くの方が「2回目です」「私は3回目です」とお答えになります。1回目は「修学旅行」で、みなさん口を揃えて「大仏さまがとにかく大きかったことだけは覚えています」とおっしゃいます。先生やガイドさんに聞いた歴史の説明や細かな記憶が薄れても “大きかった”というインパクトはしっかりと心に残り続けている。これはじつは大事なことだと私は考えているんです。最初に感じたこの東大寺の印象が将来、その人にとっての“基準”になるからです。
修学旅行生もやがて社会人になり、人生の経験を積んでいく。その中で東大寺に2回目、3回目のお参りに来られると「以前来たときとは違う印象です」と昔の自分を“基準”にして感想を口にされます。「若い頃とは見えるもの、感じるものが違います」という方もいらっしゃいます。“違う”と感じておられる中身は当然、人によってさまざまでしょう。ただ、共通しているのは1回目の経験があったから、いまの自分と比較でき、違いに気づくことができたということですね。
決して、大仏さまや大仏殿が変わっているわけではありません。大仏さまは、変わらずに大仏殿にいらして、変わらずに大きくて、変わらずみなさんを迎えてくださる存在のままですから。お参りに来られる方が「何かが変わった」と感じているのは、その方のこれまでの人生の蓄積や変化、成長がそう感じさせているのです。
いまや私たちは日本や世界のさまざまな場所に行くことが可能です。しかし、その反面、「いいなぁ」と気に入る場所に出会っても、大量の情報に触れるうちに行きたい場所は次々と増え続けてしまいます。なんでもできる時代に、同じところを何回も訪ね、深い経験をしている方は案外少ないのではないでしょうか。
その中であえて繰り返し訪れるからこそ、見えてくるもの、感じられるものは必ずあります。そして、若い頃心に残った基準という“モノサシ”があれば、自分の変化や成長を測ることができる。それが、2回目から深みを増す、東大寺の面白さだと思うのです。
聖武天皇もご覧になったであろう二月堂からの眺めを 外国からの方々と並んで見つめる夕暮れ。
たいていの修学旅行は、南大門と大仏殿の往復で次へと移動してしまう。これは残念なことでもありますが、視点を変えると、大人になってからの楽しみがたくさん残されていると言えるかもしれません。大人になった心に響くのは大仏さまの大きさだけではありません。東大寺の広い境内には1300年近く変わらない貴重なものから、さまざまな時代の叡智や想いが重なったものまでが同居しているんです。
2回目に来られた方に「どこか1カ所を紹介して」といわれたら、私が最初にあげるのは春日山の麓に建つ二月堂です。歴史の知識などは、何もなくてもいい。まずは、このお堂の舞台に立って素晴らしい眺望を楽しんでくださいとお伝えしたい。当時とまったく同じ景色というわけではありませんが、聖武天皇もかつてこの場所から眼下に広がる平城京をご覧になったでしょう。最近では、とくに夕方、外国の方々がたくさんこの舞台に来られるようになりました。生駒山に沈む夕日の美しさは、国が違っても、千年の時を超えても、同じように人の胸を打つのだと、あらためて思います。
二月堂は、24時間365日参拝できることも特徴で、朝昼晩お好きな時間の眺望や、人気の少ない時間の厳かな佇まいも堪能できます。地元のみなさんもご自身に合った時間に参拝されていて、日の出とともに来られる方、人が少ない夜中のうちにお百度を踏んで帰っていかれる方など、昔と変わらぬ姿が見られます。
また、歴史や仏さまについて、少し予備知識があれば、さらに一歩深くお参りできる楽しみもあります。例えば、二月堂は「修二会」または「お水取り」とも呼ばれる法要が行われる場所としても知られています。修二会は、大仏さま開眼の年と同じ天平勝宝4年(752)から毎年、途切れることなく続いています。1200年以上同じ法要が続いているというのは、日本では他にないと思いますし、世界でもあまり例がないのではないでしょうか。
そして、二月堂のご本尊は「絶対秘仏」だということも、ぜひ知っておいていただきたいことの1つです。一般的には秘仏といわれていても数年や数十年に一度ぐらいはご開扉がありますが、二月堂ではまったくありません。私たち僧侶ですら誰も見たことがないのです。十一面観音様であることは伝わっています。しかし、厨子が閉じられていて、直接仏さまを見ることはできません。「変わらないこと」が徹底して貫かれているすごさがここにも感じられるのではないでしょうか。
お寺に最先端技術があるのは意外ですか? それぞれのお堂には時代ごとの最新や最高が結晶しています。
「古いものが残っているのがお寺でしょ」。みなさんそんなイメージがお寺にあるのではないでしょうか。しかし、その“古いもの“が最初に作られた頃はどうだったのか。そんなことを考えてみるのに東大寺はうってつけかもしれません。
東大寺では、大仏さまを造立するという一大事業で、当時の最先端の技術が尽くされ、国中の最高のものが集められました。“ないもの”は、それを作るための技術そのものが新たに生み出されていきました。その時代の粋を尽くした価値あるものだからこそ、長く守られ、いまに至るまで残されてきた。そのことに気づくと東大寺の境内にちりばめられた、いろいろな時代の姿が、鮮やかに立ち上がってくるかもしれません。
約15mもの鋳造の大仏像をどうしたら作れるのかーー、当時の技術者たちは懸命に考えました。結果的にはそれまで行われたことのない、下から一段階ずつ輪切りを積むようにして鋳造を重ねるという新たな手法が編み出されました。
鎌倉時代には重源上人(ちょうげんしょうにん)という方によって、当時の中国である宋の最先端技術を取り入れて、兵火により焼失した建物を復興しました。南大門で上を見上げると高い柱に横木が何段もジョイントされ、全体が吹き抜け構造になっているのがわかります。大仏様(だいぶつよう)と呼ばれる方式です。
歴史の教科書では鎌倉時代の代表的な建築として東大寺南大門と円覚寺舎利殿がよく挙がりますが、これはそれまで日本の歴史になかったものが現れたからですね。吹き抜け構造は現代の建物でも多用されていますが、東大寺はその元祖、日本初の吹き抜けということになるかもしれません。
著名な建築家の方々も、南大門や法華堂などの建築を学ばれ、過去や先人たちへのリスペクトをとても大切にされていると伺います。皆さんの身近な建物にも、きっと何処かに古代建築からのヒントが隠されているでしょう。ぜひ、みなさんも残された建物や彩色などを手がかりに「当時はどんな感じだったのかな」と各時代の人たちの努力や情熱、新しい技術や文物と出会う驚きを自分なりに、ちょっと想像してみてください。そうすれば、大人だからこそできる東大寺の楽しみが大きく広がるのではないでしょうか。
約1300年前の大仏造立には、 あなたのご先祖も参加していたかもしれません。
東大寺の大仏さまは、聖武天皇が「大仏造立の詔」を発願され、そこから多くの人が力を合わせてその造立を成し遂げました。この“多くの人が力を合わせた”ということが大切なのです。聖武天皇は自らが権力のもとに大仏を作るようなやり方では「事成り易し、されど心は至り難し」と記しています。皆が互いの幸せを祈り合う力を集め、為すことでなければ意味がないと考えられたのです。一枝の草、一掴みの土でもいい、皆で協力して欲しいと呼びかけました。
当時の日本の人口は500数十万人といわれています。東大寺の記録によると造立に参加した者の数は、延べ260万人。非常に多くの人々が、お互いの幸せを祈ろうという気持ちを持って協力したのです。
そう考えると、いま現代を生きているみなさんのご先祖が大仏さま造立にかかわっていた可能性はとても大きいですよね。そこから想いをふくらませていくと、奈良を訪れて大仏さまを拝むことは、自分のご先祖が、奈良時代に何を感じ、大仏さまにどんな願いを込めたのかに触れることだといえるかもしれません。大仏さまが長い歴史の中で壊された時にも、その時々の時代のご先祖が復興し、蘇らせてきたのかもしれない。
そういうご先祖さまとの再会や対話ができる場所を訪れる、それが東大寺に来る、大仏殿に来る、大仏さまに会うという意味だと私は考えています。
さまざまなことを学び、経験したあなたが、自分の先祖が祈りを込めた仏さまにお会いする。それが大人として2回目の東大寺をめぐる、ということではないでしょうか。
東大寺は感じる心で歩く場所。私はそんな風にも考えています。そこに身を置き、まず感じてみる。何かをちょっと意識してみる。それだけで心を揺さぶられたり、洗われたり、得られるものがあるはずです。そういうことが分かるようになってくるのが、30代や40代になってからなのでしょう。人生はいくつもの時代や経験が重なって違う景色が見えてきます。いまの時代は情報も多く、速度も早い。自分の気持ちと静かに向かい合うことが難しい時代かもしれません。2回目の東大寺ではぜひ、深く自分のルーツに耳を傾けるようにして、さまざまな時代を訪ね、新しいご自身を発見してみてください。