(写真提供/安倍文殊院)

(写真提供/安倍文殊院)

安倍文殊院

飛鳥時代に創建された
日本三文殊の第一霊場

桜井市にある安倍文殊院は、東大寺の別格本山とされる華厳宗の寺院です。

大化元年(645)、孝徳天皇から初代左大臣に任命され、大化の改新を推進した安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が、安倍一族の氏寺として建立した安倍山崇敬寺(安倍寺)が始まり。
安倍寺は東西に金堂と塔が建つ、法隆寺式伽藍配置の大寺院で、現在の場所から南西約300mの地にありました。

平安時代末期に妙楽寺(現在の談山神社)の僧兵との争いによって焼失し、現在の地に移転。鎌倉時代には、28坊の塔頭(たっちゅう)寺院(※)があったとされ、東大寺や興福寺などと同様、朝廷の崇敬を受けた15の寺院「大和十五大寺」の一つとして栄えました。

しかし永禄6年(1563)、戦国武将・松永久秀の兵火を受け、伽藍のほとんどが焼失。寛文5年(1665)に現在の本堂が再建されました。

現在は、京都府宮津市の智恩寺(切戸(きれと)の文殊)、山形県高畠町の大聖寺(亀岡文殊)と並ぶ日本三文殊の第一霊場として親しまれています。

※塔頭寺院とは、大きな寺院の敷地にある小寺院や別坊のこと

智恵の仏さまとして
信仰を集める国宝・文殊菩薩

本尊は、「三人寄れば文殊の智恵」で知られる騎獅(きし)文殊菩薩像。鎌倉時代の大仏師・快慶によって造立された日本最大の文殊さまで、高さは約7m。
右手に魔を断ち切るという降魔の利剣(ごうまのりけん)を、左手に慈悲・慈愛を象徴する蓮華を持ち、凛々しい姿で獅子に乗ります。

渡海文殊群像(国宝)。左から維摩居士、須菩提、文殊菩薩、善財童子、優填王(写真提供/安倍文殊院)

文殊菩薩は4人の脇士を従えています。向かって左に頭巾をかぶった維摩居士(ゆいまこじ)と須菩提(しゅぼだい)、向かって右に獅子の手綱を持つ優填王(うでんのう)と、振り返る姿が愛らしい先導役の善財童子(ぜんざいどうじ)。雲海を渡り、人々に智恵を授けるための説法の旅に出かける姿を表しており、「渡海文殊群像(とかいもんじゅぐんぞう)」として国宝に指定されています。

毎年多くの学生らが学業成就や合格祈願に訪れ、本堂前には願い事をしたためた絵馬がびっしりと並びます。
また、文殊菩薩は卯(うさぎ)年の守り本尊でもあり、四季折々に変化するしだれ桜とうさぎを描いた季節限定の「うさぎ限定御朱印」も人気です。

由緒あるお堂や四季の花など、
見どころ満載

文殊池に浮かぶ金閣浮御堂には、この地で生まれたと伝わる奈良時代の遣唐使・安倍仲麻呂像や、平安時代に活躍した陰陽師の祖・安倍晴明像、陰陽道に関する宝物などが祀られています。
御堂は「七まいり」という願掛けの修行場でもあります。
七難(災難)に遭わないよう、魔除け・方位災難除けの神仏が安置されている御堂の回廊を時計回りに7周し、1周ごとに「おさめ札」を納めて祈願します。

(写真提供/安倍文殊院)

ほかにも、国の特別史跡の指定を受ける飛鳥時代の古墳、安倍晴明が幼少期に天体観測をしたと伝わる展望台、縁結びの神様として信仰される白山堂(重要文化財)など、見どころがたくさん。

花の名所でもあり、春は文殊池を囲むように桜が咲き誇り、秋には約30種類のコスモスで造る「コスモス迷路」が登場します。
また、パンジー約8,000株で干支を描く「ジャンボ干支花絵」も風物詩になっており、毎年11月中旬から4月下旬まで見ることができます。

安倍文殊院

住所

奈良県桜井市阿部 645

電話番号

0744-43-0002

※拝観時間や拝観料等、詳細は安倍文殊院公式サイトをご確認ください。