如来が来迎する、美しき祈りの空間 如来が来迎する、美しき祈りの空間

  • 失われた伽藍を忠実に再現した室町期の復興 失われた伽藍を忠実に再現した室町期の復興

     文正元年(1466)、応仁の乱の兵火は円成寺にも襲いかかり、本堂・阿弥陀堂や楼門をはじめ多くの堂宇(どうう)、仏像が焼亡しました。知恩院院主・栄弘を中心として復興が直ちに開始され、栄弘が没する文明19年(1487)には14もの堂宇の復興がなされていたと伝わります。さらに、本堂・阿弥陀堂の復興に際しては、天永3年(1112)に創建された旧本堂の規模・様式になんら変更を加えることなく、焼亡前とほぼ同じ姿で再建されていたことが昭和33年(1958)に開始された復元解体修理で判明しています。
     技術や知識の忘却を招くことのない迅速な復興と伝統を忠実に受け継いだ室町時代の人々の努力が、貴重な平安時代の祈りの空間をいまに伝えています。

  • 幻想的なまでに華麗な祈りの空間 幻想的なまでに華麗な祈りの空間

     庭園だけではなく、阿弥陀如来坐像の座す堂宇そのものの荘厳も憧れの浄土の表現であったことが円成寺の本堂・阿弥陀堂ではよくわかります。内陣母屋の四本柱に描かれた極彩色の菩薩は楽器を奏で、舞を踊り、まるで夢幻の美しさ。内陣中央の阿弥陀如来が少し目線を下げているのは、極楽浄土の中心にある高い場所から私たちのいる遠い下界を見つめているのでしょうか。空間全体で阿弥陀如来が眷族(けんぞく)である菩薩たちとともに下界へ下ろうとしている来迎のようすが表現されています。
     また、須弥壇の四方では鎌倉期彫刻の息吹を感じさせる重要文化財の四天王立像が勇ましく阿弥陀如来を守護しています。
     内陣は、周囲をぐるりとめぐりながら拝観できるようになっています。華やかで厳かな祈りの空間を古来の多くの修法にならい、極楽浄土へとつながるという右回り(時計回り)で360度じっくりとご体感ください。

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