――宮司に就任されてから8年、第60次式年造替に寄り添った日々であったかと思います。
「千三百年間、国家国民を守ってきた御神威を先人が感謝し、二十年に1度積み重ねてきた60次です。60という数は十干十二支(じっかんじゅうにし)が、ひと周りして元に戻る縁起の良い区切りの数です。このような記念の式年造替に宮司として巡り合えたことに、深いご縁を感じています」
春日大社はおよそ1300年前の創建以来、20年おきに、本殿や御神宝(ごしんぽう)などを修繕し、造り替える「式年造替」を行ってきました。その後、常に春日大社の社殿は清らかに若々しく保たれ、古代の建築や工芸の技術が継承されているのです。平成19年に一之鳥居から始まった第60次式年造替は、平成28年11月6日に正遷宮が執り行われて完了となりました。
平成20年に宮司に就任され、第60次式年造替とともに歩んできた花山院(かさんのいん)宮司に式年造替についてお聞きしました。
「千三百年間、国家国民を守ってきた御神威を先人が感謝し、二十年に1度積み重ねてきた60次です。60という数は十干十二支(じっかんじゅうにし)が、ひと周りして元に戻る縁起の良い区切りの数です。このような記念の式年造替に宮司として巡り合えたことに、深いご縁を感じています」
「千三百年余りもの間、多くの崇敬を受けてきた神様です。本殿の御扉を20年ぶりに開けるのは畏れ多い思いでした。開けた瞬間、檜の香りがあたり一面に広がり、その強いご神気に鳥肌が立ち、とても寒い日でしたが、汗をかく程でした。4時間に及ぶ儀式でしたが、ほんの1時間程度に思えたのですから、不思議な時間を体験させていただいたと思います」
「常に神様は清浄でなければなりません。20年経つと屋根の檜皮が劣化し、社殿の朱塗りの色も褪せてくる頃です。樹々の緑の中に朱の赤が鮮やかに映えてこそ、ご神気が発揮されていると感じられるのではないでしょうか。さらに、技術継承という面でも20年はちょうど良いようです。若い技術者が造替を経験し、ベテランになってもう一度造替を経験した時、次の若手へと技術を伝えられます。造替は設計図どおりにはいきません。指で触れた感じや、造替にかける思いなど、行間にある感覚が必要です。造替によって人から人へ、「技術」と「思い」を繋いでいく。千年前から途切れずに行われている奇跡的な継承方法と思います。」
「人間には自分の努力ではどうにもならないことがあります。例えば生まれてくること、亡くなること。人間が食べ物や水という恵みを受けて命を繋ぎ、社会を形づくることができたのは、人智の向こう側にある力によるものです。これこそ神様の力で、人々は神に感謝し、その証しとして、人間が素晴らしいと思うものを捧げてきました。それが常に美しく清らかな社殿であり、技術の粋を尽くした御神宝の数々なのです」
「春日山原始林が守られてきたのもその表れです。神様は自然の美しいモノに宿ります。自然は命を生み出します。水や酸素を与えてくれる森は、命そのものでしょう。だから春日山原始林は平安時代に樹木の伐採を禁止されてから、どんな時代にも人の手が加えられることはありませんでした。都が平安京に移っても人々がはるばる春日の地にお参りしていたのは、ここが神様と人が共に生きる自然豊かな理想郷だと考えられたためでしょう。“魂のふるさと”と言ってもいいかもしれません」
平成28年11月6日に『本殿遷座祭』が行われ、神々様が修繕の終わった清らかな本殿に還られます。そして、またあらたな20年を人と自然と共に歩まれることになります。いっそうご奉仕させていただきたいと思います。
1962年佐賀県生まれ。1985年國學院大學文学部神道学科卒業。奈良県立奈良高校などで教鞭をとり、2008年から春日大社宮司に就任。花山院家は藤原道長の孫で関白師実の二男家忠を祖に十一世紀末に創立。五摂家に次ぐ九清華家のひとつで旧侯爵家。
宮司は第三十三代目当主。
※この記事は2016年に取材を行いました。