金峯山寺

聖地・吉野への入り口─

蔵王堂からみなぎる力

吉野山の中腹、海抜364メートルの地に、現在の蔵王堂は立つ。山岳修行者だった役行者(えんのぎょうじゃ)が蔵王権現の姿を山桜の木に刻んで祀ったときから始まり、何度も焼亡と復興をくりかえしてきた。現在の建物は豊臣秀吉、秀長の支援によって再建されたもので、天正20年(1592)頃に完成した。現在は金峯山寺の本堂として国宝に指定されている。高さ34メートルといえば、10階建てのビルほどだろうか。檜皮葺の屋根と色彩のない柱を使用しているために派手さはないが、目前に見上げると、その大きさと桃山建築らしい厳かなたたずまいに威圧される。

吸い込まれるように黒々と口を開けた正面の入口から内部に入ると、古代の森に迷い込んだようだ。それもそのはず、本尊の鎮まる厨子の回りには68本もの柱が林のように立ち並び、もっとも太いものは3.9メートルもの胴囲を持つ。復興が急がれたためであろうか、使われている木材もばらばらで、杉、檜、松、欅、つつじ、梨などなど。森のよう、というのはあながち間違っていない。柱の太さも異なり、ゆがんだ木もゆがんだままに利用されている。蔵王堂はたしかに人の手によるものだが、人がわずかに自然に手を添えただけで、大自然がこの地を選んで、この材を選んで、みずからが形を成した、そんな印象さえ受ける。

蔵王堂を幾度も復興してきた日本人たちはおそらく知っていたのだろう、吉野の大自然のなかで人間がなにほどのものを造っても、それはちっぽけなものでしかないことを。それならば、華美に走らず、自然のままに、大自然の威力をそのまま表現しよう、そう考えたのではないだろうか。

蔵王権現ざおうごんげん ─魔を破る、青き異形の仏

異形の仏が持つ力

金峯山寺蔵王堂の本尊、蔵王権現立像は秘仏であり、ふだんは巨大な厨子の内に鎮まっている。中尊は7.28メートル、向かって右側が6.15メートル、左側が5.92メートル。大きい。厨子が閉じられていても、蔵王堂から遠く見わたされる大峯山地の奥までその霊気が響き渡るかのようだ。

蔵王堂の本尊が三体あるのは、蔵王権現が最初に表した姿、釈迦如来、観音菩薩、弥勒菩薩のそれぞれを意味している。そもそも「権現」というのは、「権(仮り)に現れる」という意味で、蔵王権現は、今の世にふさわしい姿として現れた仮の姿であり、本来は私たちのよく知る、柔和で優しい仏さまということになる。

釈迦如来、観音菩薩、弥勒菩薩はそれぞれ、過去、現在、未来。よく知られるように、釈迦は紀元前6世紀から5世紀ごろにインドに生まれ仏教を開いた人。そのために過去を表す。観音菩薩は「音を観る」すなわち衆生の声を聞く仏として現世の利益を叶えてくれることから、現在を表す。弥勒菩薩は釈迦の滅後56億7千年後にこの世に現れて衆生を救うことから、未来仏とされる。

蔵王堂にいらっしゃるのは、過去も現在も未来をも救ってくれる仏たち。蔵王権現の正式の名前「金剛蔵王権現」の「金剛」がなによりも固くて壊れることのないものを意味するように、蔵王権現は完璧な強さで私たちのすべてを隙間なく守ってくれる。

その右手に持つ三鈷杵(さんこしょ)は、密教の法具の一つで、魔を打ち砕くもの。それは外の魔はもちろん、私たちの心の中の魔にも容赦はない。蔵王堂中尊の左手は握り拳だが、多くの蔵王権現像の左手は二本の指を伸ばした「刀印」を結んでおり、情欲や煩悩を断ちきるという意味がある。高く上げられた足は、魔を踏み砕くため。

そして蔵王権現のからだの青─ それは蔵王権現の大慈悲を表しているというが、もうひとつ、たたなづく青垣、大和の色、吉野の色。蔵王堂の蔵王権現たちを見上げると、外の光を受け、足もとからお顔の額まで、青のグラデーションを描く。それは明け方の吉野山の奥行きを目前に見上げるかのようだ。吉野の大自然から生まれた蔵王権現は、そのままその色をまとって、仏の色である「金」の装飾品を身につけ、仏は自然、自然は仏であることを教えてくれる。

金峯山寺

住所

奈良県吉野郡吉野町吉野山2498

電話番号

0746-32-8371

公式サイト

https://www.kinpusen.or.jp/

※拝観時間や拝観料等、詳細は金峯山寺公式サイトをご確認ください。