室生寺は「女人高野(にょにんこうや)」とも呼ばれていますね。
どのような物語や歴史がある寺院なのでしょうか。
真言宗の霊地・高野山は、かつて多くの寺院がそうであったように女人禁制でした。それに対して、同じ真言宗の重要な寺院でありながら、女性の参詣を受け入れていた室生寺を人々は、いつの頃からか「女人高野」と呼ぶようになったのです。
室生寺と女性の歴史を紐解くとき、五代将軍徳川綱吉公の母上・桂昌院さまの存在は欠かせません。当時、荒廃していた室生寺は、巨額の浄財をはじめとする寄進によって復興を果たしました。その時のお力添えがなければ、現在の室生寺の姿はなかったでしょう。桂昌院さまは、室生寺が古くから女性の心の支えであったことを識っておられ、それ故にこの寺を絶やしてはいけないと考えられたのかもしれません。
シャクナゲの季節や紅葉の頃など今も多くの女性の方がお参りに来られます。ご夫婦連れのようすを拝見していても、奥さまが「室生寺に行きましょう」とご主人の手を引き、お越しになったのでは、という気がいたします(笑)。それは、長い歴史の中で女性を受け入れ続けてきた室生寺ならではの光景なのかもしれませんね。
平安時代前期の木造仏である国宝・十一面観音菩薩立像。
女性にとても人気があるそうですが、その魅力について教えてください。
一番の魅力は、少女のような優しいお顔立ちですね。ふっくらとした輪郭、穏やかに伏した瞼の表情が、拝観する方の心を柔らかく受け止めてくださいます。唇や光背に残る彩色、胸元の瓔珞(ようらく)と呼ばれる飾りなど細部まで美しさが溢れています。
お像の高さは2mほどですが、堂々とした存在感で大きく感じられるかもしれません。左手には水瓶を持ち、右手は人々の願いを叶えるための与願印(よがんいん)を結んでいます。頭部には、異なる表情の仏さまのお顔が十面、頂上には衆生を救うために現れた化仏(けぶつ)のお姿があります。喜怒哀楽を表した面は、私たちの身にいかなる事態が起き、どれほど心が乱れようとも、仏さまがあらゆる手立てをもってお救いくださることを伝えています。
どのような心も汲みとり、「しっかり」と温かく励ましてくださる。慈愛に満ちた女性のような優しいお姿に接することで、自然と自分も優しくなれる。その喜びが多くの女性を惹きつける理由なのではないでしょうか。
十一面観音菩薩立像が安置されている金堂には、多くの貴重な仏像があります。
なぜ、優れた仏像がこれほど、この場所に集まったのでしょう。
金堂には、中尊の釈迦如来立像(国宝)を中心として、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)、文殊菩薩立像(重文)、そして十一面観音菩薩立像(国宝)が安置されています。なぜ、五尊像なのか。定説はないのですが、春日信仰との結びつきによるものではないか、と春日大社の方と話したことがあります。まず、室生寺は興福寺の末寺だったという経緯があり、興福寺と春日大社には深い関わりがあります。また、春日大社の「一宮」から「四宮」までに「若宮」を加えた五社それぞれの本地仏を記した古い時代の文書などがあり、それが五尊像とも符合する。春日信仰との関わりならば辻褄が合います。もちろん、推論に過ぎないのですけれどね。
手前の十二神将立像(重文)は、薬師如来を守護しています。鎌倉時代中期の像で、生き生きと変化に富んだ姿勢と表情は、彫刻史上においても貴重です。少し見づらいのですが、頭上には各々十二支を付けています。いま、辰神像と未神像は奈良国立博物館に出陳し不在ですが、ぜひご自身の干支を確かめてみてください。
室生寺の写真といえば、階段下から見上げる五重塔が有名ですね。
この塔のことや素敵な写真が撮れるポイントなどを教えてください。
階段下から見上げた五重塔は、まさに「室生寺らしい」1枚が撮れる構図です。プロカメラマンも一般の方々も盛んに挑戦しておられるようです。塔の高さは約16.2m。野外に立つ国宝の五重塔としては日本最小ですが、このアングルは塔が大きく見えます。
五重塔の建造時期は、奈良時代末から平安時代初期。じつは、平成10年の台風で五層すべての屋根が打ち砕かれるという大きな被害を受けたのですが、その修復のための調査で、この塔が室生寺最古の建造物であると判明したのです。修復も全国の方々から義捐金を寄せていただき、わずか2年で完了しました。この塔を見るたびに、今も温かいみなさまのお心に頭が下がる思いです。
じつは、私も写真撮影が若い頃からの趣味なので、最後に撮影のワンポイントをご紹介します。階段下から五重塔を撮影する場合は午前中に。もし、夕方の撮影なら塔横の階段を少し登ったところから五重塔を見下ろす構図。どちらも太陽の光で清らかに輝く五重塔は、「女人高野」にふさわしい珠玉の美しさなんですよ。